ZARD坂井泉水さん8回目の命日 事故説や自殺説もあったがその真相は [芸能]
スポンサーリンク
ZARDのボーカルだった坂井泉水さん(享年40)が亡くなってから8年が経ちました。
youtubeで劇的に稼ぐ方法を知りたいですか?『知りたい!』ならとりあえずクリック!
90年代もっとも売れた女性ボーカリストだった坂井泉水さんが亡くなって8年になります。
ほとんどテレビに出ないため、ミステリアスな印象がありました。大ヒットになった曲もたくさんあったので、耳になじんだ曲もたくさんあります。
そんな坂井さんですが、高校時代の親友の方によると
「控えめな性格でしたが、天然ボケのところがあってマイペースな子でした。本名から『サッチ』と呼ばれていました。歌手の大沢誉志幸の曲『そして僕は途方に暮れる』が好きで、よくノートに歌詞を書いていました。授業中にも書いていたんですが、先生が近くに来たのに彼女はまったく気がつかず、先生に教科書で頭をポカンとたたかれていました」
とのことです。
スポーツも万能で学校のミスコンでも優勝したとか。当時から美人だったんですね。高校のころから詩を書いていて、バンドを結成したかったようですが、当時同級生の作っていたバンドにはメンバーに空きがなく、実現しなかったようです。
それでも歌手になりたかった坂井さんは、その後短大を卒業してOLになったものの、夢をあきらめきれずに芸能界いり。最初はレースクイーンとして活動していたそうです。
その後1991年に歌手デビュー。93年には『負けないで』が大ヒット。その頃にラジオ番組で対談した音楽評論家の富沢一誠氏はこう語っています。
「写真で見たイメージどおりの美人でした。女性アーティストのなかには、人気が出てくるとおごりが見える人もいますが、そんなところはなかった。一つひとつの質問を受けとめて、言葉を選んで話す。文学少女のイメージがぴったりの女性でした」
ですが、ヒット曲を連発しても、メディアへの露出はほとんどありませんでした。せいぜいCDのジャケットに顔写真が付いている程度です。
歌と私生活の両方を大切にしたいという本人の意思を尊重してのことだったそうです。
その後、都心ではなく郊外の町田市に家を新築して移り住みます。
そのころからがんを発症し治療にあたるようになったそうです。
2006年6月に子宮頸がんの摘出手術を受けたものの、がん細胞が肺にも転移していて、完治は難しい状況でした。
それでも仕事への復帰を目指していた2007年5月26日午前5時42分ごろ、坂井さんは東京・信濃町の慶応義塾大学病院の非常階段付近で大量の血を流して倒れているところを発見されました。スロープ状になっている高さ約3メートルの地点から転落して後頭部を強打したとみられ、発見後、すぐに救急病棟に運ばれたが、翌27日の午後3時すぎに脳挫傷のために亡くなったそうです。
当初は自殺と事故の両面から捜査が行われていましたが、
(1)部屋はパジャマが脱いだままたたまれておらず、これから自殺する人の行動として考えにくい (2)高校のころから詩を書いていたような人が、自殺に際して何もメッセージを残さないのは奇妙 (3)手すり部分の手の跡から、高さ3mのところから落下したことがわかったが、もっと高いところにも行けたのに、自殺する人がそんなに低いところから飛び降りるはずがない (4)手すりの跡の様子から、手すりに腰かけていたのではないかと判断される (5)坂井さんが発見されたスロープは、坂井さんが散歩していたコースで、夜明けを見に行くことがそれまでにもあった (6)後頭部から落下しているが、通常の飛び降り自殺ではそういう落ち方はしない
などなどの結果から、「夜明けを見ようと散歩に出かけ、手すりに腰かけていたところ、何らかの理由でバランスを崩して転落、打ち所が悪く亡くなった」という事故死と判断されました。
当時からファンの間でも事故説と自殺説、はては殺人説まで飛び出していましたが、最後まで前向きだったという彼女の関係者の証言を考えても、不幸な事故だったというところのようです。
今日は私も、坂井さんの歌声を聴きつつご冥福をお祈りしようと思います。
youtubeで劇的に稼ぐ方法を知りたいですか?『知りたい!』ならとりあえずクリック!
スポンサーリンク
ZARDのボーカルだった坂井泉水さん(享年40)が亡くなってから8年が経ちました。
youtubeで劇的に稼ぐ方法を知りたいですか?『知りたい!』ならとりあえずクリック!
90年代もっとも売れた女性ボーカリストだった坂井泉水さんが亡くなって8年になります。
ほとんどテレビに出ないため、ミステリアスな印象がありました。大ヒットになった曲もたくさんあったので、耳になじんだ曲もたくさんあります。
そんな坂井さんですが、高校時代の親友の方によると
「控えめな性格でしたが、天然ボケのところがあってマイペースな子でした。本名から『サッチ』と呼ばれていました。歌手の大沢誉志幸の曲『そして僕は途方に暮れる』が好きで、よくノートに歌詞を書いていました。授業中にも書いていたんですが、先生が近くに来たのに彼女はまったく気がつかず、先生に教科書で頭をポカンとたたかれていました」
とのことです。
スポーツも万能で学校のミスコンでも優勝したとか。当時から美人だったんですね。高校のころから詩を書いていて、バンドを結成したかったようですが、当時同級生の作っていたバンドにはメンバーに空きがなく、実現しなかったようです。
それでも歌手になりたかった坂井さんは、その後短大を卒業してOLになったものの、夢をあきらめきれずに芸能界いり。最初はレースクイーンとして活動していたそうです。
その後1991年に歌手デビュー。93年には『負けないで』が大ヒット。その頃にラジオ番組で対談した音楽評論家の富沢一誠氏はこう語っています。
「写真で見たイメージどおりの美人でした。女性アーティストのなかには、人気が出てくるとおごりが見える人もいますが、そんなところはなかった。一つひとつの質問を受けとめて、言葉を選んで話す。文学少女のイメージがぴったりの女性でした」
ですが、ヒット曲を連発しても、メディアへの露出はほとんどありませんでした。せいぜいCDのジャケットに顔写真が付いている程度です。
歌と私生活の両方を大切にしたいという本人の意思を尊重してのことだったそうです。
その後、都心ではなく郊外の町田市に家を新築して移り住みます。
そのころからがんを発症し治療にあたるようになったそうです。
2006年6月に子宮頸がんの摘出手術を受けたものの、がん細胞が肺にも転移していて、完治は難しい状況でした。
それでも仕事への復帰を目指していた2007年5月26日午前5時42分ごろ、坂井さんは東京・信濃町の慶応義塾大学病院の非常階段付近で大量の血を流して倒れているところを発見されました。スロープ状になっている高さ約3メートルの地点から転落して後頭部を強打したとみられ、発見後、すぐに救急病棟に運ばれたが、翌27日の午後3時すぎに脳挫傷のために亡くなったそうです。
当初は自殺と事故の両面から捜査が行われていましたが、
(1)部屋はパジャマが脱いだままたたまれておらず、これから自殺する人の行動として考えにくい (2)高校のころから詩を書いていたような人が、自殺に際して何もメッセージを残さないのは奇妙 (3)手すり部分の手の跡から、高さ3mのところから落下したことがわかったが、もっと高いところにも行けたのに、自殺する人がそんなに低いところから飛び降りるはずがない (4)手すりの跡の様子から、手すりに腰かけていたのではないかと判断される (5)坂井さんが発見されたスロープは、坂井さんが散歩していたコースで、夜明けを見に行くことがそれまでにもあった (6)後頭部から落下しているが、通常の飛び降り自殺ではそういう落ち方はしない
などなどの結果から、「夜明けを見ようと散歩に出かけ、手すりに腰かけていたところ、何らかの理由でバランスを崩して転落、打ち所が悪く亡くなった」という事故死と判断されました。
当時からファンの間でも事故説と自殺説、はては殺人説まで飛び出していましたが、最後まで前向きだったという彼女の関係者の証言を考えても、不幸な事故だったというところのようです。
今日は私も、坂井さんの歌声を聴きつつご冥福をお祈りしようと思います。
youtubeで劇的に稼ぐ方法を知りたいですか?『知りたい!』ならとりあえずクリック!
スポンサーリンク
コメント 0